CHICHEN ITZA
チチェン・イツァ
2014.11.29

<概要>

 朝7時40分にカンクンのホテルの1階に出てChichen Itza行きのツアーバスを待っていると日本人女性ガイドがやって来た。彼女は実はかなりの歴女だったことが後で分かる。小型のバスで10人程度でほぼ満席。我々は一段高い一番後ろの席に4人でちょっと狭く外が見えない。一人がけが3席あいていた。あと二人乗るというので、私は一人がけに移った。

 カンクンダウンタウンのHISの前でもう二人乗るのだが、7時50に着いて8時10分まで待つという。8時半になっても来ない。いったんバスを出発させたが電話が入ってまた停車。ガイドが走って迎えにいったが来ないので再出発。しばらく行った所でまた電話が入って待たされた。タクシーで若手の男性に二名がやってきて“すいません”の一言だけで何事もなかったかのように着席。

 Valladoridまで2時間くらい。そこから20分くらいでChichen Itza。

 チチェン・イッツァ(スペイン語: Chichen Itza)は1988年に世界遺産に登録されたメキシコの後古典期マヤの遺跡で総面積は約1.5平方マイル。

 紀元後6世紀頃からのマヤ独自の旧チチェン・イッツァ時代と10世紀以降のトルテカ文明と融合した新チチェン・イッツァ時代とに分かれる。旧チチェン・イッツァ時代は、マヤ文明特徴の定期的な遷都で、終了する。10世紀頃に再びこの地に移り住みだしたが、その時は中央高原のトルテカ文明の影響を受けていた。生贄の心臓を捧げるチャックモール像、戦士、生贄の頭蓋骨、ククルカン、、とトルテカの特徴が顕著。この時代を、新チチェン・イッツァ時代とする。ウシュマルと同盟し権勢を誇るが、13世紀には、マヤパンを中心とした反乱にあい、滅亡する。


メイン・ゲート

メイン・ゲート

新チチェン・イッツァ

 チチェン・イッツァを象徴するピラミッド「エル・カスティーヨ(El Castillo)」には、春分と秋分の日の年2回、羽を持つ蛇の神ククルカン(別名ケツァルコアトル)が舞い降りる。太陽が西に傾いたある時間、ピラミッドの下部に取り付けられた蛇の頭部の石像が照らし出されると同時に、階段の側面にうねるような光のジグザグ模様が浮かび上がり、頭部と合体するのだ。天からククルカンが降り立つ姿を描いた、マヤ人の神秘のイベントである。


エル・カスティーヨ(El Castillo)

エル・カスティーヨ(El Castillo)

エル・カスティーヨ(El Castillo)

エル・カスティーヨ(El Castillo)

エル・カスティーヨ(El Castillo)

 エル・カスティーヨの東に戦士の神殿(Templo de los Guerreros)と千柱の間(Thousand Column Group)がある。ジャングルのように林立する千柱の間にはたくさんのレリーフが彫られており、光が当たるとそんなレリーフに光が刻み込まれて絵がぽっこりと浮かび上がる。連なる柱と柱の影と、そこに浮かび上がるレリーフが、なんとも不思議な空気をかもし出す。この戦士の神殿の入口にあるのがククルカンの石柱と、神の使者チャック・モールの像。チャック・モールはお腹に鉢を持っているのだが、ここには生きたまま胸を裂かれた生け贄の心臓が、天体の運行に疲れた太陽に捧げられていたという。


戦士の神殿(Templo de los Guerreros)

戦士の神殿(Templo de los Guerreros)

球戯場(Juego de Pelota)

 鷲とジャガーの基壇(Plataforma de Jaguares y Aguilas)には心臓を食べる鷲とジャガーの姿が描かれていて、鷲とジャガーの基壇と言われています。人間の心臓を捧げることが太陽の運行のために必要だったと考えるトルテカの影響であるのは間違いありません。鷲とジャガーは、昼と夜をあらわすと同時にトルテカの戦士集団のシンボルでもあり、後のアステカ帝国にも引き継がれました。

 ツォンパントリ(頭蓋骨の台座:El Zompantli)とは球技場の近くにある骸骨の祭壇。台座に頭蓋骨が彫られており、この上に生け贄の頭部は切断されて、基壇に串刺しにしてさらされたという。

 ジャガーの神殿(Templo de los Jaguares)には外壁にジャガーの闊歩する姿があるために名前がつく。この建物の内壁には多くの戦闘のシーン等の壁画や、レリーフが残る。

 ちなみに、この戦士の神殿とエル・カスティーヨ、鷲とジャガーの神殿、金星の台座の間の広場のある地点で手を叩くと音が反響してある特殊な音になる。


鷲とジャガーの基壇(Plataforma de Jaguares y Aguilas)

鷲とジャガーの基壇(Plataforma de Jaguares y Aguilas)

ツォンパントリ(頭蓋骨の台座:El Zompantli)

ジャガーの神殿(Templo de los Jaguares)

ジャガーの神殿(Templo de los Jaguares)

ジャガーの神殿(Templo de los Jaguares)

ジャガーの神殿(Templo de los Jaguares)

 チチェン・イッツァの球戯場(Juego de Pelota)はメソ・アメリカ随一といわれる規模と美しさを誇る。ゲームはサッカーとバスケットを足した様な競技で、約3kgの生のゴムボールが使われ、手を使わずにリングの中にボールを入れたほうの勝ちで、1本勝負であった。ここの球技場は全長168m。古代マヤでは太陽の恵みを得られるよう生贄を差し出したと言われる。生贄になるのは名誉な事であり、ボールゲームの勝者のリーダーは首を切り落とされる。

 なぜ勝者が死ななくてはならないのだろう?

 神への生け贄は名誉であり、天国への道が約束されるということで、当時生け贄志願者は数多く、競うほどのものだったといわれている。


球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

球戯場(Juego de Pelota)

 川のないユカタン半島では、ため池や地下水をたたえた池をセノーテと呼び、水を供給する聖なる場所として祀られていた。直径60m、水深80mにもなるチチェン・イッツァの「聖なるセノーテ」から、大量の人骨や装飾品・宝石などが発見された。この聖なるセノーテは雨の神チャックのすみかと信じられ、定期的に生け贄が捧げられたようだ。生け贄は子供から処女、男性にまで及び、生きたまま投げ込まれたという。

 これらの生け贄の儀式をもってマヤの人々は残忍だったとか、残虐な儀式とかいわれるが、必ずしもそうはいえない。どこまでも自然を愛した人々だからこそ、自然の周期性に気づいたのだし、自然を尊んだ。自然の神秘はそのまま神の所業であると考えられ、自然のあらゆる場所に神々を見出した。

 現在の多くの人間にとって死は終わりでしかないが、マヤの人々にとって、死は終わりではなかった。彼らから見れば、死を与えることは残虐でもなんでもなかったのかもしれない。



みやげ物屋

聖なるセノーテ(清める場所)

聖なるセノーテ(飛び込む場所)

聖なるセノーテ

聖なるセノーテ(湖面)

旧チチェン・イッツァ

 高僧の墓(Tumba del Gran Sacerdote[El Osario])はエル・カスティージョと同様のピラミッド型の建造物。発見当初は崩壊していて瓦礫の山となっていたらしいが、修復されて当時の姿を取り戻している。

 金星の基壇にもヘビの頭が付いていますが、「金星」の基壇と言われるのは側面に彫られたレリーフに由来します。


高僧の墓(Tumba del Gran Sacerdote[El Osario])

金星の基壇
 天文台(El Caracol)と呼ばれる天文台も残されている。これはまさに天体観測用の施設そのもので、頂部の観測室の壁には四角い窓が切り込まれており、観測時における照準線として機能していたと考えられている。

天文台(El Caracol)

天文台(El Caracol)

 尼僧院(Casa de las Monjas)には雨の神チャックの顔が建物の上部に切り石ではめ込まれている。建物は大きくないが、ほぼ全面に施された装飾が素晴らしい。チャックはユカタンのどこの遺跡でも見られる。雨が少ないこの地方では、雨をつかさどる農業の守り神であるチャックが特に重要だったのだろう。


尼僧院(Casa de las Monjas)

尼僧院(Casa de las Monjas)

尼僧院(Casa de las Monjas)

尼僧院(Casa de las Monjas)

尼僧院(Casa de las Monjas)

尼僧院(Casa de las Monjas)

 教会(La Iglesia)

 球戯場(El Juego de Pelota)

 赤の家(Casa del Venado)は天上が赤かったらしい。明らかにトルテカ様式とは異なるす。プウク様式?で、チチェン・イツァーで現存する建物の中で最も古いものだそうです。

 鹿の家(Casa Colorada)は鹿の壁画があったことからこう呼ばれている。


教会(La Iglesia)


球戯場(El Juego de Pelota)

鹿の家(Casa Colorada)

鹿の家(Casa Colorada)

赤の家(Casa del Venado)

赤の家(Casa del Venado)
全体地図

 チチェン・イッツァの見学を終えて2時半過ぎに近くのレストランで食事をし、それから観光客に開放されているセノーテ、Il Kilに向かった。遊泳が許されているが、聖なる泉で泳ぐ気にはなれない。

 帰りも約2時間でカンクンに帰り着いた。


昼食

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil

セノーテ Il Kil